■青山健一プロフィール

◇「売り上げ向上委員会」設立にあたってのごあいさつ

青山健一プロフィール

 歯科医師が、他の歯科医院の為に経営のアドバイスをしていくということに疑問符を抱く方が多いのではないでしょうか?

 私自身、まさかこういうお仕事をさせていただくことになるとは予想だにしていませんでした。
ですから、なぜ私が歯科医院の為のコンサルタントを行うことになったのかをお話しさせていただきます。

 私が開業したのは、2年間の勤務医経験を経た27歳の冬でした。居抜き開業で、今と同じ港区南青山でのスタートでした。今から思えば怖さを知らない若者ゆえの無謀な決断でした。自分の考えの甘さは、すぐに赤字という現実で私につきつけられました。

 売り上げが上がらないので、生活を切りつめ、経費を抑えるしか方法はなく、アルバイトの歯科助手を週に2〜3日来てもらって、他の日は自分1人で診療するという体制が2年程続きました。先日、当時を知っている患者さんから「先生、昔は1人で診療していましたよね」と言われ、思い出したくない過去がフィードバックして、少し息苦しさを感じました。

 赤字経営は4〜5年続きましたが、2度と経験したくない程の悲惨なものでした。当時は全てにおいて、もがき苦しみ、出口を捜し求める毎日でした。当時があるから今の成功があるのだということはよく分かりますが、今から思うと若かったから耐えることができたのだと思います。

 当時の私の中では、毎日必死でがんばっているのに、私だけこんなに苦しまないといけないのは「世の中が何か間違っている」「医療制度に問題がある」のだといった自分以外のことに責任を転嫁している毎日でした。

 しかし今になって振り返ってみますと、当時の私のやり方では、赤字になるべくして赤字になっていたことがわかります。当時も、私なりにがんばってはいましたが、成功した今から思うと、努力の方向が間違っていれば、どんなにがんばったところで思うような結果が出るはずがないのです。

 今の私にとって、売り上げを上げることは簡単なことであって、少しの努力で大きな効果を生み出せますが、当時の私には、大きな努力でも少しの効果しか生み出せなかったのです。今では、患者数も増え、売り上げも上がり続け、新患患者が増えすぎないようにコントロールしないといけない状況なのです。

 当時のもがき苦しんだ経験があるからこそ、今では効果が出る努力の方向性の大切さ、売り上げを上げるためのノウハウをご提案することができるのです。

 今後の歯科医師過剰時代においても、売り上げ的に心配しないで歯科医院経営をしていくことは難しくないのです。

 そのためには、私としても、クライアントの先生方と信頼し合い、何事も包み隠さず本音でお付き合いしていきたいと思っています。「俺はお客だ!!」「お金は払うからお前がすべて考えろ!!」「儲かるノウハウだけ教えてくれえればいいんだ」といった考え方のような人には、入会をお断りしています。私の本業は歯科医師ですので、性格的に合わない人にまで多くの先生方に会員になって欲しいとは思っていません

 私はクライアントの先生方の成功の手助けをしたいだけなので、人間的に好感の持てないタイプの人にいくらお金を積まれても、ノウハウや知識を伝えたくはありません。依存心が強く、他力本願で相手を攻撃するタイプの方とは一生協力していけないと思います。

 横柄な態度に聞こえるかもしれませんが、私はWIN−WINのいい関係を作りたいので、私がストレスに感じるタイプの人とは一緒に仕事をしたくはないのでお許しください。

● 主な著書 ●

  • 『誰も思いつかなかった歯科医院経営の秘訣』(クインテッセンス出版株式会社)
  • 『南青山発、落ちこぼれ歯医者の逆襲』(デンタルダイヤモンド社)
  • 『20代社員の使い方にはコツがある!』(明日香出版社)
  • 『抜かない矯正専門のDr.が薦める「1年で治る矯正治療」』(ごま書房)
  • 『抜かない矯正の最新知識』(桐書房)
  • 『よくわかる家庭の歯学』(桐書房)
  • 『噛み合わせを治せば肩こり、頭痛が消える!』(同文書院)
  • 『知らなきゃ損する歯の矯正のお話』(冬青社)

● 年 表 ●

1965年

 広島県呉市に商売人の長男として生まれる
 幼少の頃から、休みもなく働く両親の姿を見ながら商売の大変さを日々感じていました。

中学・高校時代

 父親が、毎日配達などで雨の日など大変な肉体労働的な商売よりも「頭を使った家の中でできるお医者さん系の仕事の方がいいぞ」と言われ、両親の忙しさを見るとともに、いろんなお客がいて、中にはクレーマーのような人もいて、その対応の大変さも聞かされていて、お医者さんならそんなにクレーマーはいないだろうと考え、医者になりたいと漠然と考えていました。子供の時には、自分の親の仕事が特に大変に思えるもので、自分の家の商売以外だったら何でも良かったのだと思いますが、こんな不純な動機で少しずつ医者に憧れるようになりました。

大学時代

 学生時代は歯科の勉強よりも、遊び、クラブ活動、英会話に夢中になっていました。特に英語には力を入れていて、外人の多い歯科医院に手紙を書いて見学させてもらったり、就職をお願いしたりしました。その時、六本木の小野先生を知ることができ、今日にいたるまで、技術的、精神的にいろんなアドバイスをいただき、歯科医としての方向性を見いだしていただきました。

勤務医時代

 六本木の小野先生のクリニックには勤務できませんでしたが、時々診療を見学させていただきながら、いろいろとアドバイスを受けさせていただいていました。勉強家の小野先生と知り合えたことで、色々と最先端のセミナーを紹介していただき、少しずつ、歯科技術の知識を貯えていけました。

 そんなセミナーの1つで神奈川歯科大学の佐藤教授が主催されている矯正のセミナーで、自費診療だけで診療をされているパンキーフィロソフィー実践者の「日米歯科」の峯田先生と知り合えました。この峯田先生との運命的な出会いが、後の私の歯科医師としての人生を決めたと言っても言いすぎではないのです。

1992年27歳 いよいよ開業

 勤務していた歯科医院を居抜きで買い取ることになり、技術的にも経営的にも未熟な状態での見切り発車の開業になりました。自分の思い描く理想の診療体制と現実とのギャップに悩み続ける数年間でした。小野先生、峯田先生に励まされながらの苦悩の数年間が続きました。

 技術的には小野、峯田両先生のお陰で、徐々に自信の持てるようになってきましたが、経営的には相変わらず赤字の状態が続いていました。

開業後5〜10年

 受講したセミナーや小野、峯田両先生方のご指導などで技術的には自信が持てても、経営的にはなかなか上昇しませんでした。そんな時カリスママーケッター神田先生の「顧客獲得実践会」の会員になり、マーケティングのいろんなテクニックや考え方を学びました。このマーケティング方法と蓄積されていた歯科技術が融合し、経営的に飛躍的に伸び始めました。

2001年 広域医療法人化して広島に分院を作る

 神田先生の経営手法をもとに、医療界における有効な集客方法を確立し、歯科関係の本5冊、経営の本3冊を出版し、歯科医院の売り上げも1億円を超えました。

2005年「売り上げ向上委員会」を主催し、経営コンサルタントになる

 歯科医院の売り上げも2億円に手の届くところまで飛躍し自分の経営手法を、経営的に伸び悩んでいる歯科医の先生方に広める「売り上げ向上委員会」(オクデン)を設立。

 診療のかたわらで、できるだけ多くの先生に自分のノウハウを伝える為に、本の執筆、講演をし、会員の方々に経営のアドバイスをし、経営的に安定し大きく飛躍するお手伝いをしている。


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(有)オクデン